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岩田聡氏 任天堂の殴る蹴るキャラ同士の乱闘も面白いからOK!秘話がスゴイ! [任天堂ニュース]

任天堂の代表取締役社長の岩田聡氏が、胆管腫瘍のため逝去されました。

岩田聡氏は2002年に任天堂代表取締役社長に就任。

以降、10年以上にわたって任天堂を牽引し、ニンテンドーDSやWiiを生み出した最もクリエイティブなカリスマ経営者でしたね。

また、同社の不朽の名作「ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ(以下 スマブラ)」の生みの親でもあるが、任天堂のキャラクター同士で殴る蹴るなど無茶な設定で関係者は困惑。

そんな心配も「面白いからOK」と一蹴し発売したエピソードも。

ゲームプログラマから任天堂の代表まで登り詰め、数々のヒット商品を世に送り出した岩田聡氏を改めてまとめてみました。






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「プログラマはノーと言っちゃいけない」という確固たる理念


岩田聡氏がニンテンドーDSやWii、さらに「スマブラ」や「星のカーヴィ」などのヒット作を次々生み出した背景には「生粋のプラグラマー」であったことが関係している。

高校時代のヒューレット・パッカードの電子計算機の存在を知り、アルバイトをして貯めた資金と親の援助で購入。
独学でプログラムを学び、ゲームを作ったようだ。

そしてそのゲームをヒューレット・パッカード社に送りつけ、これに驚いた同社は様々な品を送ってよこした。

ゲームを作ってメーカーに送るという発想が、並みの人間では到底出来ない「行動」ですよね。

そんな岩田氏は大学時にはローンでマイコンを購入し、制限された機能の中でもプログラムを構築。
もうこの頃からその世界では知れ渡っていたというのだから、その才能は突き抜けていたのでしょうね。

大学在学中に常連だったマイコンコーナーである店員との出会いが、後の岩田氏を存在を作り上げたきっかけだったうようだ。

その店員が立ち上げに加わっていた「株式会社ハル研究所(HAL研究所)」にプログラマとして参加。
大学卒業と同時に入社、同年任天堂からファミリーコンピュータが発売される。

振り返るとこのタイミングは運命的ですね。

HAL研究所の出資会社が任天堂と取引していた関係から、ファミコンにも早くから参入。
1984年2月に任天堂から発売された『ピンボール』がファミコンでの初リリース作品となった。

以後も任天堂ブランドで発売された「ゴルフ」「マッハライダー」「バルーンファイト」「F1レース」の開発に携わった。

特に「バルーンファイト」は当時のアーケード版よりも非常に滑らかな動きを実現。

ファミコンが大ブームを起こす起因を作ったと言っても過言ではないですね。

そんな岩田氏のプラグラマーとして「プログラマはノーと言っちゃいけない」という考えがあったという。

どんな困難なプログラミングでも、NOと言った時点で企画そのものが駄目になるから、とにかく実現を目指し、無理だった際の代案も考える」という理念だ。

そんな飽くなき追求が、後の「スマブラ」やニンテンドーDSやWiiなどの名作を創りあげたことは言うまでもない。







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岩田聡氏と桜井政博氏との殴る蹴るの真相は?



HAL研究所が多額の負債を抱えて和議を申請した際、当時取締役開発部長であった岩田聡氏が、経営建て直しのため代表取締役に就任した。

このとき岩田氏を社長に指名したのは当時任天堂の社長であった山内溥だ。
そして、HAL研究所代表時に片腕と言われる桜井政博氏がフォーカスされる。

桜井政博氏は1996年に4人同時対戦型の体力ゲージの存在しない独特の2.5Dアクション格闘ゲームとして企画。

当時は家庭用ゲーム用の格闘ゲームはオリジナルキャラでは売れないというジンクスがあった。

そこで桜井政博氏は、マリオやサムス(メトロイド)などの任天堂のキャラクターを使用させてもらおうと交渉。

任天堂は自社のキャラクターが殴る蹴ると言った格闘ゲームに難色を示したものの、当時の上司だった岩田聡氏の人脈も相当頼って承諾を得ることに成功。

発売当初は目立ったメディアへの露出はされなかったが、オフィシャル攻略サイトを立ち上げたり、口コミが広り200万本近いヒットになった。

後日、二人の間で当時の様子を振り返ったインタビューが話題になっている。

任天堂のキャラクターはポケモンのピカチュウやマリオなど、特に子供に支持されるキャラクターなのは周知のとおりだ。

世界中に愛されているキャラ同士が、殴りあいをするゲームなどユーザーからの反発が必須であった。

そんな状況でなぜ任天堂が「OK」を出したのか?

そのインタビューで岩田氏は、「スーパーマリオ」や「ゼルダの伝説」の生みの親である任天堂の宮本茂氏に掛け合ったことを打ち明けている。

どんな会話がなされていたかは明かされていないが、宮本氏の一言が決め手になったようだ。
それは「ちゃんとキャラクターは再現されてるし、おもしろいからオーケー」との反応だった。

企業や権利などの枠を超え、クリエーターたちの情熱や共感が一つの名作を生み出した瞬間であった。


その後、初心者には直感的でわかりやすい操作、熟練者には新鮮で驚きにあふれた操作感覚を提供したDSやWiiなどを生み出し、懸念の払拭どころか「ゲーム人口の拡大」を成功させている。

逆転につぐ更なる逆転とでも言うのでしょうか。


そんな一時代を創りあげたゲーム業界の「神」ともいえる岩田聡氏。

55歳という若さでの逝去はやっぱり早すぎます。


ご冥福をお祈りします。





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